牧場勤め最後の日のアクシデント
2006-11-29 17:00:00
なんだかんだいって、牧場で暮らした3年間は楽しいものだった。
最初から最後まで、馬の気持ちは分からなかったけれど、馬が甘えてきたり、馬上で馬の首をなでているときは、少しは彼らとの距離が詰まった気がした。
牧場勤務最後の日。
僕は、3年間の思い出を胸に、感傷に浸りながら仕事をしていた。
放牧場から馬を馬房に戻すときに、事件はおこった。
その頃、翌年トレーニングセンターに入厩予定の2歳馬がいた。
僕が勤めていた牧場では、古馬を預かることが多かった。背たけがまだ低い2歳馬は珍しく、僕はその可愛さにメロメロになっていた。
馬のほうも僕の気持ちが伝わったのか、よく顔をすりつけて甘えてきた。
その2歳馬を放牧場から連れて帰るとき…。
いつもは絶対に暴れないその馬が、突然僕に回し蹴りを放った。
すっかり油断していた僕は、下腹部に痛恨の一撃を食らってしまった。
馬は、恐らく足元の虫でも追い払ったのだろう。
地面にうずくまる僕を、何事もなかったように見下ろしている。
今思えば、これから新しい生活が始まるというのに、ボーっと仕事をしていた僕に、馬が渇をいれてくれたのだろう。
強烈すぎた餞別だったけれど、気合が入ったのは確かだ。
ディープインパクトが勝ったジャパンカップ
2006-11-26 17:00:00
ジャパンカップが終わった。
頭数が少なくて寂しいジャパンカップといわれたけれど、三冠馬と二冠馬、そしてドバイシーマクラシック馬に欧州最強牝馬が出ているのだから、メンバー的に粒は揃っていたと思う。
馬券は当然のごとく外れた。
でも、東京競馬場で最後となるディープインパクトの走りを見られたので、満足だった。
一頭、馬場の外を回って押し切る強い競馬。
ほかの馬とは別の時間を走っているような、常識外れなレースぶりは健在だった。
泣いても笑っても、あと1回しかこの馬のレースを見られない。
舞台は、昨年はじめて土がついた有馬記念。
恐らく中山競馬場は大観衆で埋め尽くされるだろうけれど、今年は見にいかないと、たぶん一生後悔するだろう。
ただし馬券はディープインパクトを買わないかもしれない。
小回りの中山コース。頭数が揃えば、脚質的に大きな不利がある。
穴党としては、そこが付け入りどころだといえるだろう。
そんなことを考えながら、あと1ヶ月、たっぷり予想を楽しみたい。
月に3回の休みも苦にならない
2006-11-22 17:00:00
今日は、勤労感謝の日。
当然ながら、牧場時代は祝日に関係なく、仕事をしていた。
まぁそれはライターとなった今も、さほど変わらないけれど…。
牧場時代、仕事を休めるのは基本的に日曜日と元旦のみ。
日曜日のうち、4週に1回は当番のため潰れたから、完全なオフは月に3回ほど。
恐らく年間休日は40日以下だったと思うけれど、20代前半の僕はそれでもあまり不満はなかった。
毎日、馬と触れ合っていると、それが仕事という概念がなくなり、日常の一部になってしまうのだ。
それはそれで、幸せな人生かも知れない。
一時は馬のために一生を捧げる覚悟をしたこともあった。
けれど、もう少し色々なことを味わってみたい…という若者にしては至極まっとうな理由で、3年働いたあとに辞めた。
いまは仕事に追われ、ストレスだらけの生活。
時々、「あのまま牧場に留まっていたら…」と考えることがある。
でも、確かに牧場にはあまりストレスがなかったけれど、その代わり、あまり刺激もなかったように思う。
もちろん「馬の道」を深く究めればいろいろな刺激があっただろう。
ただ、少なくとも当時の僕に、「馬の道」を歩み続ける覚悟はなかった。
馬が血だるまになるハリ治療の憂鬱
2006-11-19 17:00:00
僕が勤めていた牧場では、怪我をした馬や疲労が溜まっている馬の治療もおこなっていた。
注射を打ったり、患部に焼きゴテをあてたり、色々な治療法があったけれど、なかでも気が重かったのが「ハリ」だ。
これは、笹バリと呼ばれる大きな針で馬の皮膚を突き刺し、鬱血している血液を放出させるという治療法だ。
何十箇所にも渡って針を突き刺すので、当然のことながら馬には多大な苦痛を与える。
馬が本気で暴れると、人間ではとても制御できないので、まずはせまい枠のなかに馬を閉じ込める必要がある。
枠に完全に固定された馬に対して、さらに馬の急所である鼻をネジりあげ、抵抗ができないようにする。
鼻をネジるには、「ハナネジ」と呼ばれる専用の器具を使う。
僕は、この「ハナネジ」で馬を押さえつけられる役をよくやらされた。
押さえつけられた馬は、獣医の手によって、背中全体に針を突き立てられる。
プス、プスと皮膚から炭酸ガスが抜ける音が聞こえる。
同時に、大量の血液が滴り落ちる。
最後の仕上げとして、傷口に消毒用の塩を塗りこむ。
この作業も、僕がした。
血だらけの背中に素手で塩を塗るときの、ぬるりとした感触は今でも忘れられない。
心の中で、何度も「ゴメンな」と謝りながら、血液で湯気が立つ馬の背中に、塩を塗りこんだ。
Category : 競走馬の治療牧場に勤めると馬券に強くなる?
2006-11-16 17:00:00
馬券好きの人からよく聞かれるのが、「牧場に勤めて馬券の腕は上がったか?」ということ。
僕も、牧場に勤めることが決まったときは、「馬のことにある程度詳しくなるはずだから、多少なりとも馬券成績はよくなるはず」…と淡い期待を抱いていた。
しかし、牧場に勤めて唯一分かったのが、「つまるところ、馬は何を考えているのか分からない」ということだった。
したがって、馬券が上手くなったかと聞かれると、答えはNO!ということになる。
でも馬という生き物が、いかにアテにならないかということは理解できたので、競馬で本命馬がブッ飛んでも、さほど腹は立たなくなった。
牧場をやめるときは、馬券で大損しても、「これも修行」と思えるようになっていたほどだ。
それが、いいことか悪いことかは分からないけれど。
いまは当時の苦い思い出があるので、馬券にアツくなることはほとんどない。
大勝負する前に、自然と心のブレーキがかかるのだ。
若いときに、さんざん馬券で苦しんでいて良かったと思う。
年をとって、ある程度お金が自由になってから競馬にハマると大変だ。
はじめて競争馬に乗ったときのこと
2006-11-13 17:00:00
僕の勤めていた牧場は、おもに地方競馬に所属する競走馬を休養させるために活用されていた。
馬を休ませることがメインになるが、トレーニングセンターに入厩させるメドがたった馬には、ある程度の運動をさせていた。
馬を自動で歩かせるメリーゴーラウンドのようなマシンはあったが、ちょっと強めの運動が必要な場合は、人間が騎乗することになる。
僕は、牧場に勤めてから1~2ヶ月程度で、馬に乗せられることになった。
「いきなりかよ!」と少々焦ったが、馬に乗ることに憧れていたので、うれしかった。
しかし、これが見ているだけでは分からなかったのだが、実際にやってみるとかなりしんどい作業だった。
馬場が狭いこともあって、ダクと呼ばれる早歩き程度のスピードで馬を走らせるのだけど、馬上でバランスを取るために太ももの筋肉をかなり使うのだ。
足の筋肉はあっという間にパンパン。
最初は、馬から下りたあと、まともに歩けなかったほどだ。
しかも相手は気の荒い競走馬。
何度も何度も落馬させられた。
ただ、馬をクールダウンさせるために、ゆっくりと歩かせているときは、馬上で受ける風がとても心地よかった。
馬漬けの毎日は早朝4時に起床
2006-11-10 17:00:00
牧場では、朝から晩まで、馬に触れていた。
夏と冬で多少変わるが、毎日のスケジュールは以下のような感じだ。
06:00~08:00 馬房掃除
08:00~08:30 朝食
08:30~12:00 馬房掃除、馬の運動
12:00~15:00 昼休み
15:00~17:00 馬の運動、馬の手入れ
全部で4人しかいない小牧場だったため、上記以外に、水や飼葉を馬に与える当番が必要だった。
これは就業2時間前、終業2時間後にそれぞれ30分程度の時間をかけて、ひとりでおこなう。
つまり、4日に1日程度でやってくる当番の日は、朝4:00起床という生活になる。
牧場に勤めるまで、不規則な生活をしていた僕には、かなり辛かった。
朝が早い分、昼休みが3時間もあるが、僕はこの時間、よく競馬場にいっていた。
バイクを飛ばせば、1時間で競馬場にいくことができたので、何食わぬ顔で昼休みに出かけたものだ。
もちろん電話投票で馬券を買うこともできたが、銀行口座上の数字のやり取りではなく、馬券という確かなカタチが欲しかったのだ。
的中馬券を払い戻し機に入れたときの「お金を数えています」というアナウンスも好きだった。
これはある程度の払い戻し額がないといわれないので、たまにしか聞けなかったが…。
こんな規則正しい的な生活を3年間続けた結果、僕はとっても健康体になった。
Category : 牧場生活負け続けた日々
2006-11-07 17:00:00
最近でこそ、あまり馬券に大金を突っ込まなくなったが、牧場に勤めていた頃は収入の8割が馬券に消えていた。
牧場生活は楽しかったが、あまり娯楽のない世界。
一応、日曜日は休みということになっていたので、競馬場にいったり、電話投票で馬券を買ったりと、一日中競馬にどっぷりとはまっていた。
住み込みだったので、光熱費や家賃はタダだったが、食生活は相当貧しかった。
でも、食費にするくらいなら、馬券に突っ込んで夢を見たかった。
散々フラフラとした挙句、牧場に勤めた僕だが、相変わらず色々なことに惑っていたのだ。
「このまま一生、馬と一緒に暮らしていけるのか」
22歳の僕には、どうしても決断できなかった。
特に、他にやりたいこともない。
でも毎月15万円の給料では、夢をみることもできない。
金さえあれば、将来の選択肢が広がりそうな気がしたのだ。
牧場勤めをはじめても、僕は相変わらず半端ものだった。
でも以前は虚しさばかり募る毎日だったが、馬と暮らすことで、やりがいを感じられるようになったのは確かだ。
アンチ・ディープインパクト
2006-11-04 17:00:00
凱旋門賞で3着に沈んだディープインパクト。
「日本中の応援を受けて…」などとニュースが流れていたが、僕の周りにはアンチ・ディープインパクトを標榜する人がかなりいる。
彼らによると、JRAの露骨な売り出し方やメディアの過剰な反応、そして「強すぎて嫌味」なところが鼻につくのだという。
僕は結構、馬に入れ込んでしまうタイプだけど、嫌いな馬というのはほとんどいない。
トウカイテイオーの華麗なステップや、タイキブリザードの地を這うような走法には心底惚れたが、別に強い馬が好きなわけではない。
そういった意味で、ディープインパクトは好きでも嫌いでもないが、彼のレース振りはいつ見ても震える。
僕は競馬で負けたあと、「ハズレ馬券は、いいレースを見せてもらった拝観料だ」とよく負け惜しみをいうが、彼のレースに関しては、冗談抜きで拝観料を払う価値があると思う。
常識ハズレなレースぶりで圧勝する姿は、これからの競馬観戦ライフにおいてそうそう見られるものではない。
そういった意味で、一戦でも多く彼のレースを見たいのだが、アンチ・ディープの友達は「早く引退して欲しい」というのだ。
人によって競馬の楽しみ方はそれぞれだけど、長い間、一緒に競馬を見てきて、価値観にここまで大きな差があるのは、少し悲しい。
競馬が終わったあと、仲間たちと飲みにいくことも多いが、僕はあえて、ディープインパクトのことを話題に出さないようにしている。
Category : 名馬僕が牧夫になった理由
2006-11-01 17:00:00
二十歳の頃、僕は牧夫だった。
高校を出て一年間浪人、結局どこの大学にも入れてもらえず、さして興味がない建築という分野を扱う専門学校に「とりあえず」入学した。
学校生活は、苦痛そのものだった。
学校に行けば、建築士や建築デザイナーを目指す「熱い若者たち」が溢れていたが、建築に面白味を見出せなかった僕は、当然のことながらみんなから浮いた。
そのうち、学校よりも競馬場やパチンコ屋にいる時間の方が、長くなった。
秋を迎える頃、僕は学費を出してくれた母親に、「学校をやめたいんだ」と言った。
女手ひとつで僕を育ててくれた母親が、一生懸命に蓄えた学費を、何も得ることなく無駄にしてしまった。そう思うと、後悔で自然と涙が溢れてきた。
次は、自分が好きなことを、徹底的にやろう。
そう胸に誓ったのはいいが、はっきりいって当時の僕は無趣味人間で、自他共に認める「つまらない奴」だった。唯一の趣味が、競馬とパチンコという駄目っぷり。
自分の食い扶持は早く稼ぎたいという思いもあって、「とりあえず」パチンコ店でアルバイトでもするかと、アルバイト情報誌を買い込んだ。はっきり言って、失敗から何も学んでいない。
ところが、このアルバイト情報誌が、僕の運命を変えた。
「リゾート地」とジャンル分けされたアルバイト情報欄に、酪農や高原野菜の出荷作業などと一緒に、「競走馬の休養牧場のスタッフ」を募集する記事があったのだ。
パチンコ店でアルバイトをするよりも、きっと刺激的なことが待っているに違いないと直感した。
気がつくと、誰に相談することもなく、情報誌に載っていた電話番号にダイヤルをしていた。
こうして僕は、牧夫になった。
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